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徳川氏の軍事編成について その2

その1の続きからということで、前回徳川氏の軍事編成として酒井組、石川組の二組の編成方法が画期的であるというところまで書いた。内容については前回その1を参照してもらうこととするが、一族ではなく譜代家臣を旗頭とし、その中に一族の松平氏が組み込まれたわけとなったのは家康の血縁関係が大きく関係していると考えられる。

徳川家康は肉親に恵まれず、父系の安城松平氏の叔父や従祖父はおらず、母方の実家である水野氏も三河平定時の頃は徳川と織田の両属ともいえる立場であったことから伯父水野信元が旗頭となることはあり得ない。それに対し、旗頭となった酒井忠次と石川家成の両名はというと、忠次は祖父の松平清康の妹の碓井姫を室としており、家成についても家康の母於大の方の妹の子であったことから準一門的な位置づけで旗頭となったと考えられるし自然である。

戦国大名の一般的な軍団編成方法として寄親寄子制が採用されていた。これは有力な家臣を親とし、その下に中小規模クラスの家臣を子として配置するというものだ。戦闘時には子は親の指揮下に入って一つの戦闘部隊として行動していた。

酒井、石川の組についてはどうだったかというと、寄親クラスの有力家臣が寄子に組み込まれていたため寄親寄子としてのパワーバランスに何らかの形で影響があったのではないかと考えられる。例えば戦闘時には個別に行動する可能性、命令を無視もしくは聞かない可能性など…。これについてはまだまだ勉強不足であるので申し訳ないが今は明確なことは言えない。

その3に続く。
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記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について(12)

皆さんこんばんは。今回はまた『哲学ニュース』の記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について検証してみようということで、第1弾、第2弾、第3弾、第4弾、第5弾、第6弾、第7弾、第8弾、第9弾、第10弾、第11弾に続いての第12弾です。第1回はヨーロッパと日本

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